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名古屋地方裁判所 昭和45年(ワ)3411号 判決 1981年2月23日

原告

佐藤守一

右訴訟代理人

朽名幸雄

小川宏嗣

被告

株式会社中日新聞社

右代表者

加藤巳一郎

右訴訟代理人

伊藤富士丸

外四名

主文

一、被告は、原告に対し、金六〇万円を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件記事による名誉毀損の成立

被告が日刊新聞の発行等を目的とする株式会社であること及びその発行する中日新聞の昭和四五年一〇月一三日付朝刊社会面に、原告に関する本件記事を掲載し、これを名古屋地方一円に頒布したことは、当事者間に争いがない。

しかして、まず、本件記事においては、原告を実名で表示せず、「S警部(現警察署課長)」という形で表示しているので、そもそも右によつて原告が特定されているか否かが問題となる。本件記事は原告の実名こそ明示していないものの、単なる記号ではなく、イニシャルを使用し、かつ警部・現警察署課長という職務上の地位・階級を付していること、本件記事中に実名で記載されている訴外吉川と原告との交遊関係も具体的に摘示されていることが明らかであり、又<証拠>によれば、本件記事報道当時原告は警部であつて、刈谷警察署交通課長の地位にあつたが、愛知県警察内部に「S」というイニシャルで表示し得る警察署課長は原告を含めて一四名程度しかいなかつたこと、そして後に認定するように以前から原告は訴外吉川と親しい交遊関係をもつていたこと、このため本件記事掲載の直後から原告のもとには、かつての同僚等から本件記事内容の真否に関する問合せが相当数あつたこと、原告と類似の「H警部補」との表示で本件記事に掲載された訴外広瀬昭信も、右記事の内容について、かつての同僚、友人等から相当数の問合せを受け、その際本件記事に於る「S警部」というのは原告のことではないかとも問われたことが少なくなかつたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、名誉毀損が成立するには、被害者が特定されていなければならないことは勿論であるが、右特定性があるというためには必らずしも実名を表示することを要せず、記事の全趣旨及びその他の事情を総合すれば、その何人であるかが相当多数人に推知される場合であれば足りると解すべきところ、前記認定の事実を総合すれば、本件記事における「S警部(現警察署課長)」との表示は原告を特定するものとして十分であるというべきである。

右を前提として、本件記事が原告の名誉を毀損するものであるか否かについて考える。

当事者間に争いのない本件記事の内容及びその表現形式を考察すると、次のように認められる。すなわち、本件記事は、冒頭に「元刑事が会社乗つ取り」「現職警官も関係?」「暴力団手口そつくり」との五段抜き見出しをつけ、そして以下これに見合う本文の記事を掲げているが、そのうち原告に関する部分は、要するに、元刑事である訴外吉川及び訴外竹島幸夫(以下「訴外竹島」という。)らが関西系暴力団の手口をそつくりまねて訴外小野の経営していた小野運送乗つ取りをはかり、これを成功させたこと、ほかにも訴外吉川は喫茶店の乗つ取りをはかつてその経営者に五、六百万円の損害を与えたことの事実を断定的に述べたうえで、この事件に関係しているといわれる現職警官が原告である旨を述べ、続いて「(原告は)、吉川が警察を辞めた後も、引き続き吉川と付き合つており、特にS警部は三二〇万円余の金を融通してやつたほど。」との記事及び「運送会社を乗つ取られた小野さんは、『吉川のところに行くと、Sさんがいつも一緒にマージャンをしていた。“警察のえらい人だ”と紹介されたこともあり、結局、吉川を信用してしまつた』と訴えている。」との訴外小野の訴えなるものを、原告に対する前記疑いないし風評を裏づける具体的事情として摘示し最後に愛知県警察監察官室の「警察官にふさわしくない風聞があるので、慎重に調査している」旨の談話を付加して締め括つているのであつて、以上のような本件記事の内容、配列及びその表現形式等によれば、これを読む一般読者に対し、原告が訴外吉川らの運送会社及び喫茶店乗つ取りという警察官にあるまじき行為として社会の非難を受ける行為に関与していたのではないかとの印象を与えるものであつて、かかる事実が流布されると、原告の社会的評価は当然低下するものと考えられる。従つて本件記事を掲載した新聞の発行、頒布によつて原告はその名誉を毀損されたものと言うべきである。

尚、被告は、本件記事のうち喫茶店乗つ取りに係わる部分については、専ら訴外吉川及び同竹島らとの関係で記載されているものであつて、原告に関係のあるものとしては表現されていないから、右の部分は原告の名誉を毀損するものではない旨主張する。然しながら、本件記事においては右喫茶店に関する部分は小野運送乗つ取り事件に関する部分と密接不可分の事柄として取り上げられ、全体として訴外吉川らの不法な行為の内容とされているものである。かような本件記事の内容に、その配列、表現形式等をあわせ考慮すると、本件記事において「この事件に関係したといわれる現職警官は、S警部(現警察署課長)とH警部補(現警察署係長)の二人。」と記載されている「この事件」とは、一般読者の普通の注意と読み方を基準として読めば、小野運送乗つ取り事件ばかりでなく、喫茶店に関する部分も含めて理解するのが卒直な読み方である。尚また、被告は、本件記事はその表現、形式からして社会通念上受忍限度内である旨主張する。なるほど本件記事のうち原告に関係する部分については、見出し・本文ともに断定的表現を避けて、疑問符を付し、また「との訴えがあり」「といわれる」といういわゆる伝聞的、風評的表現をとつている。しかしかような表現形式がとられている場合でも、前認定のように、その記事を読む通常の一般読者に対しては、原告が本件乗つ取りに関係したかのような印象を与え、この結果原告の名誉を害するものであることは明らかであつて、この点においては風評等の内容とされている事実を直接的に表現する場合と結果において異なるところはなく、従つて本件報道が原告の受忍すべき限度内のものとして許容されるものということはできない。

二本件記事の真実性

本件記事中原告に関係する部分は、悪質な会社乗つ取り事件に現職警察官も関与していたとの非行事実を取り扱つたものであるから、事柄の性質上公共の利害にかかわるものであることは明らかである。そして、<証拠>を総合すると、昭和四五年一〇月五日、訴外石原の通報を契機として、原告の非行事実に関する取材を開始した被告名古屋本社の社会部次長であつた佐藤毅、同部の記者であつた佐久間紀行、同河口信介らは、その取材活動の結果、本件記事記載の如き事実が存在すると信ずるに至つたこと、そして右佐藤毅らは、元刑事を中心として現職警察官も関与した集団が会社乗つ取り事件を起して一般市民を泣かせることはそれ自体極めて問題であるのみならず、当時愛知県内においては官民を挙げての交通事故防止の運動が行われている最中、警察署の交通課長である原告が前記の如き事件に係わつているということは、警察の姿勢を正すという観点からも、敢えて前記事実を報道して市民の批判に訴えることが新聞の使命であるとの判断の下に、本件記事の掲載に踏み切つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実によれば、本件記事は専ら公益をはかる目的で掲載されたものということができる。

しかして、このように新聞に公表された事実が公共の利害に係わるもので、且つ事実の公表が専ら公益をはかる目的でなされた場合に、その事実が真実であるとの証明があつたときは、名誉毀損の違法性が阻却されて、不法行為責任が生じないものと解すべきところ、被告は、本件記事は真実である旨主張する。

1  小野運送に関する部分について

<証拠>を総合すると、昭和四一年一〇月ころ、当時シルバー自動車株式会社(以下「シルバー自動車」という。)を経営していた訴外吉川及び同竹島らが小野運送の代表者であつた訴外小野に対し、右両会社の業務提携を申入れたことから、これが開始され、以後小野運送の実質的な経営は、次第に訴外吉川らが中心となつて行うようになり、翌四二年二月末には登記簿上無限責任社員であつた訴外小野が小野運送を退社する旨の登記手続がとられるとともに事実上も訴外小野は、小野運送から排除され出社することもできなくなつたこと、そこで訴外小野は右一連の事態を不服として、頻繁にシルバー自動車の事務所に行き、訴外吉川及び同竹島に小野運送を返して欲しい旨訴えていたこと、その際訴外小野は、同事務所内に於てしばしば原告が訴外吉川らと麻雀をして遊んでいるのを目撃したこと、右一連の経過の中で訴外竹島は訴外小野に対し原告が現職の警察官である旨を告げたことがあるので、訴外小野は訴外吉川らと前記交渉をするにあたつて精神的負担を感じたこと、訴外小野は最終的に小野運送を乗つ取られたと判断して、私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使等の罪名で訴外吉川、同竹島及び後に小野運送を上記訴外人らから買受けた訴外佐藤哲の三名を、昭和四二年三月に名古屋地方検察庁に、同年九月に西警察署にそれぞれ告訴し、又同年五月二日名古屋地方裁判所に対し、小野運送における無限責任社員らの職務執行停止を求める仮処分申請をしたこと、しかして西警察署に対する告訴は、送検のうえ昭和四三年三月八日付で不起訴処分がなされ、名古屋地方検察庁に対する告訴及び名古屋地方裁判所に対する仮処分申請はいずれも同年六月ころ、訴外小野が取下げたこと、以上の事実が認められる。

次に、<証拠>を総合すると、原告と訴外吉川とは、両名が昭和二〇年代に、中警察署に勤務していたころから久しく交際をしていたものであること、そして右交際の内容は、昭和三五年に警察官を退職して自動車の修理・販売業を営んでいた訴外吉川から、原告が中古自動車を買い受けたり、その修理を依頼したりする外、本件で問題となつている昭和四一年及至同四二年ころには、原告は訴外吉川の経営するシルバー自動車の事務所に時折来ては麻雀をしたり、雑談をしたりしていくようなことがあつて、相当親密な仲であつたこと、又訴外吉川は、原告から、昭和四三年末から同四四年三月ころまでの間に数回に亘つて、合計金三二〇万円程度を借り受けていること、以上の事実が認められる。

ところで右認定の事実に<証拠>を総合すれば、訴外小野と訴外吉川らとの間に、小野運送の経営権をめぐる前認定の紛争においていわゆる乗つ取りという言葉で表現されてもやむを得ない事実が存在したことは十分窺われる。

そこで進んで、右小野運送の経営権をめぐる紛争に原告が関与していたか否かについて検討するに、前記認定の事実によれば、要するに、原告は、小野運送の乗つ取りを行つたとされる者のうち訴外吉川と長期間の交遊関係を有し、同訴外人らとシルバー自動車の事務所内に於て、しばしば一緒に麻雀を行い、又本件乗つ取り事件の後である昭和四三、四年ころに金銭の貸借関係があつたが、しかしこれらの事実のみを以つてしては未だ原告が訴外吉川らと同小野との間の小野運送の経営権をめぐる紛争に関与していたものと推認することは到底できない。

尚、<証拠>中には、原告も小野運送乗つ取りの仲間であつた旨の供述部分があり、又<証拠>中には、同証人が昭和四五年一〇月一五日、訴外小野の友人である訴外織田一郎(以下「訴外織田」という。)を取材した際、右訴外人は、かつて原告から同訴外人の経営していた運送会社の帳簿を見せるよう強く言われたことがあり、その際、原告は運送会社の経営に自信があると述べていた旨の話をしてくれたとの供述部分がある。然しながら、右の証言は、同証人自身が、原告については訴外吉川らと共謀していた証拠はないけれども、訴外吉川らの行為について何も知らないとは思えない旨述べているとおり、単なる推測の域を出るものではなく、又前記証言も、訴外織田の話について何ら裏付け取材を行つたものではないうえに、仔細に検討すると、訴外織田の話自体が確たる根拠もなしに想像をも含めて述べる部分のある信用性の乏しいものであつて、結局、前記各証言はいずれも、原告が小野運送の経営権をめぐる紛争に関与していたとの事実の認定の資料となしうるものではなく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

2  喫茶店乗つ取りに関する部分について

<証拠>を総合すると、名古屋市中区内で喫茶店「さざんか」を経営していた訴外大島は、昭和四一年八月ころ、右喫茶店の店舗を担保にして、訴外吉川らを通じて訴外近藤甲子次から金一〇〇万円を借り受けたが、代位弁済によつて右一〇〇万円の貸金債権を取得した訴外吉川らとの間でその返済をめぐつて紛争を生じ、このため訴外竹島らが「さざんか」の売上金を強引に持ち去る等のことがあつたこと、そこで訴外大島は、昭和四一年一二月ころから数か月に亘つて頻繁にシルバー自動車の事務所に訴外吉川や同竹島に売上金を持ち去ること等の営業妨害的行為を止めて欲しい旨懇願するため通つていたこと、その際訴外大島は、前記訴外小野の場合と同様に、シルバー自動車の事務所内に於て、原告がしばしば訴外吉川らと麻雀をして遊んでいるのを目撃したこと、そしてこの頃、訴外大島は現職警察官である原告に対して、前記紛争の解決を一度依頼してみようと考えて、シルバー自動車の事務所内に於て、たまたま同所に来ていた原告に対し、大まかな事情を説明したうえで原告から訴外吉川に対して話をするように依頼したものの、原告は自己に関係のないことだと言つて、訴外大島を相手にしなかつたこと、ところで訴外大島と同吉川らとの間の右紛争は、「さざんか」のウエイトレスであつた西川真美子が何者かに殺害された事件を契機として訴外吉川らが手を引くことによつて終了したこと、尚訴外大島は訴外吉川らの前記の営業妨害的行為について、訴外吉川、同竹島及び同石原の三名を窃盗等の罪名で中警察署に告訴したが、これは昭和四二年九月二五日付で名古屋地方検察庁に送検されたうえ、同庁において起訴猶予の処分がなされたこと、以上の事実が認められる。

ところで、前記認定の各事実を基礎として考えれば、昭和四一年暮ころ以降数か月に亘つて、喫茶店「さざんか」の経営者大島と訴外吉川らとの間に金銭貸借をめぐる紛争が存在し、この結果訴外吉川らが訴外大島の「さざんか」の経営権を脅かす事態に立ち至つたことが窺われる。そこで進んで右紛争にそもそも原告が関与していたか否かについて検討するに、前記認定の事実に、前記1において認定した訴外吉川と原告との交遊関係や金銭の貸借関係等の事実を併せ考えてみても、結局、原告は喫茶店「さざんか」の乗つ取りをはかつたとされる者のうち訴外吉川と長期間の交遊関係を有し、同訴外人らとシルバー自動車の事務所内において、しばしば一緒に麻雀を行い、ある時訴外大島から訴外吉川らの喫茶店「さざんか」に対する営業妨害的行為を止めさせて欲しい旨依頼されたが、自己に関係がないと述べてこれにとりあわず、又本件乗つ取り事件があつたとされる時期よりも後である昭和四三、四年ころに訴外吉川との間で金銭の貸借関係があつたというに止まるものであつて、これらの事実のみをもつて原告が訴外吉川らと同大島との間の喫茶店「さざんか」の経営権をめぐる紛争に関与していたものと認めることは到底できない。

もつとも、<証拠>中には、原告が訴外大島の留守中に喫茶店「さざんか」の店舗を手に入れたいということで、右店舗を下見に来たことを従業員から聞いた旨の供述部分及び同証人は、原告も喫茶店「さざんか」を乗つ取ろうとしていた訴外吉川らのグループの仲間だと感じていたとの供述部分がある。しかし、右の証言は、原告が下見に来たとの点については、従業員からの伝聞でしかもその従業員の氏名も覚えていないというものであるうえに、何時どのような経緯で来たのか、それが本当に原告であつたことの根拠となる事情について何等触れるところがないもので、にわかに措信し難いものであり、又原告も訴外吉川らの仲間だつたとの点は、同証人自身が言い過ぎかもしれないと述べるものであつて、要するに単なる推測を述べるに過ぎないものであつて、これらの供述をもつて前記事実を認めるには足りないものである。又<証拠>中には、昭和四一年に訴外吉川が喫茶店「さざんか」は担保流れで自己の権利になつた旨述べた際に、その場に居た原告が自分がマスターになつて行こうかと言つたことがあるとの部分が存するけれども、原告がそれを述べたという前後の状況等についていささか具体性を欠くものであるばかりでなく、そもそも同証人の証言は、同じ喫茶店「さざんか」をめぐる紛争の経緯について、本件における証言内容と別件(名古屋地方裁判所昭和四五年(ワ)第三四一三号)における証言内容が著しく異なることは<証拠>に照らして明らかであり、前記証言は到底信を措き得るものではない。

そして、他に原告が喫茶店「さざんか」をめぐる訴外大島と同吉川らとの間の紛争に関与していたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

三真実と信ずるについての相当性

被告は、本件記事中原告に関係する部分を真実と信ずるにつき相当の理由があつた旨主張する。

まず、本件に関する被告側の取材活動に関して、<証拠>を総合すると、本件記事報道当時、被告名古屋本社社会部の佐藤毅、佐久間紀行、河口信介らは、同僚である滝恵秀記者に訴外石原が、昭和四五年一〇月五日、原告の非行事実に関して通報してきたことを契機として、小野運送や喫茶店「さざんか」の乗つ取り事件なるものが真実存在したのか否か、又現職警察官であつた原告や訴外広瀬が右事件に関与していたかどうかについて、本格的な取材を開始したのであるが、右事実関係についての取材の対象は、主として、小野運送の経営権をめぐる紛争の一方の当事者である訴外小野、同じく喫茶店「さざんか」の経営権をめぐる紛争の一方の当事者である訴外大島及びかつては訴外吉川のもとで使い走り等をしていたが、その後右訴外人とけんか別れをし、本件当時は原告について愛知県警察監察官室等に対し投書することを繰り返していた訴外石原の三名であつたこと、又佐久間記者らは愛知県警察の監察官室の関係者にも数回面接したが、その際監察官室側から、原告の非行事実について投書が来ているので調査をしているとの一般的な話はあつたものの、原告が小野運送や喫茶店「さざんか」の乗つ取り事件に関与していたか否かの点については、何等発表ないし説明がなかつたこと、そして佐久間紀行記者らは原告や訴外広瀬の言い分も取材するため、昭和四五年一一月一二日、愛知県警察本部の広報課長に原告と訴外広瀬の住所・電話番号等を聞いたものの、これを行なわないまま本件記事を報道することとなり、従つて本件取材活動において被告側は、原告及び訴外広瀬については、その話を聞く等のことをまつたく行わなかつたこと、以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

判旨ところで、前認定の事実によると、本件記事で取り上げられている小野運送及び喫茶店「さざんか」の所謂乗つ取り事件なるものは、いずれも昭和四一年から同四二年春ころにかけてのものであつて、本件記事報道の時期から考えると、三年以上も前の事柄であり、かつその内容に照らし、その報道につき迅速、緊急性が強く要請されるというほどのものではない。そして右事件についてはいずれも被害者側に該るとされる訴外小野や同大島が訴外吉川らを相手どつて刑事告訴の手続をとつたものの、原告は告訴されておらず、更に右各告訴は告訴の取下ないし不起訴処分という容疑事実の存否自体について必ずしも明確にされない形で事件が終了し、これにつき捜査当局の公の発表は何もなく、従つて捜査結果に基づいて乗つ取り事件の実態及びそれらに原告が関与していたか否かについては判断することができない状況であつて、もつぱら私的な情報に基づいたものである。加えて前認定の事実に徴すると、前記情報提供者はいずれもその当時原告に対しむしろ悪感情さえもつていたと思われる人達であつて、しかも被告記者にとつて重要な情報源となつた訴外小野の原告に関する訴えは基本的に推測の域を出ないものであることが<証拠>によつて窺い知ることができる。かような本件事実関係の下においては、とくに慎重な裏づけ調査を必要とすべく、少なくとも反対当事者である原告に対する取材は必要不可欠のものであつたというべきところ、被告側の取材は前記認定のとおりのものであつて、原告ないしこれに替わるべき者に対する取材は一切行つていないのであるから、本件記事中原告に関係する部分が真実であると信ずるについて相当の理由があつたとの被告の主張は到底これを採用することはできず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

尚、<証拠>中には、被告側としては、本件に関し、可能な限りの十分な取材を行つた旨の供述があるが、これは単なる同証人の主観的判断を述べるに過ぎないものであつて、何等右判断と抵触するものではない。

四本件記事が、被告の事業の執行として、被告の被用者である佐藤毅、佐久間紀行及び河口信介らによつて取材、執筆、掲載されたものであることは当事者間に争いがなく、又本件記事中原告に関する部分が一般読者に対して与える印象は、前記一において認定したとおり、原告の名誉を毀損するものであるから右佐藤毅らには記事表現上の過失が存するものといわざるを得ない。そうすると、被告は民法七一五条により、右被用者らが過失により原告に加えた損害につき使用者として賠償の責を負うべきものである。

五損害賠償の方法・程度

1  <証拠>を総合すれば、原告は本件記事の掲載、頒布により精神的打撃を受け、損害を被つたことが認められる。

そこで、原告が被つた損害の額及びその賠償の程度について検討するに、右各証拠によれば、原告は昭和二二年ころ以来警察官として勤務していた者であるところ、本件記事が報道されたことにより、警察内部の同僚等を中心に相当数の者から本件記事の内容に関して追求を受け、弁解を迫られたこと、又本件記事報道以降従来からの友人知人の中で原告との交際を断つ者があつたこと、ところで、原告の警察からの退職は、本件記事が直接の契機であるというよりは、それ以前に既に監察官室の勧告等により退職せざるを得ない状況になつていたものであることが認められ、これらのことと前認定の被告の地位、活動範囲、本件記事掲載の動機・態様等の諸事情及び後記のとおり謝罪広告を認めないことを総合考慮すれば、原告の被つた精神的苦痛を慰謝するためには金六〇万円の慰謝料の支払を以つてするのが相当である。

2  原告は、慰謝料の請求と併せて、謝罪広告の掲載をも求めるが、前記のとおり、本件記事は原告を実名ではなくイニシャルで表示する等一定の配慮をしていること、被告側の記事掲載の動機は原告の個人攻撃を目的とするものではなく、新聞の使命感に基づくものであること、そして他方、原告側にも前認定のとおり、訴外小野との間で小野運送の経営権をめぐる紛争を起していた訴外吉川らと敢えて付き合い、右訴外人らと頻繁に麻雀をする等して、訴外小野に原告も訴外吉川らの仲間であるとの印象を持たれる等責めるべき点がまつたくないではなかつたこと、更に前記のとおりの額の慰謝料を認容することを勘案すれば、謝罪広告まで認める必要性はないものというべきである。

六以上の次第であるから、結局、被告は原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、金六〇万円の支払義務がある。

よつて、原告の本訴請求は右の限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(田辺康次 加藤英継 角田正紀)

《本件記事》

元刑事が会社乗つ取り

現職警官も関係?

暴力団手口そつくり

交通事故を起こし、警察をやめた元刑事が、このほど横領の疑いで愛知県・稲沢署につかまつた。身につけた捜査知識を逆手にとつて会社乗つ取りをはかり、巧妙な手口でいつたんは成功させたが、この時の乗つ取り仲間と仲たがいし、過去の車代金の横領事件を告訴され、ついに逮捕された。会社乗つ取りは刑事事件にならず、被害者の泣き寝入りに終わつたが、同事件に愛知県警の現職警官がからんでいたとの訴えがあり、同県警監察官室は事態を重視して十二日、実情調査に乗り出した。

横領事件からアシ

つかまつた元刑事は名古屋市千種区千種通一ノ二〇、吉川定夫(四三)。同県警捜査二課、稲沢署の調べによると、吉川は四十三年春ごろ、会社乗つ取りの仲間だつた愛知県海部郡美和町、T(四二)から販売を委託されていた中古乗用車三台の代金約六十万円を横領した疑い。最近になつて吉川はTと金銭問題で仲間割れし、怒つたTが吉川を告訴したという。

吉川は元愛知県警の警察官で、昭和二十年同県巡査となり、千種署を経て二十三年五月から中署に配属され、外勤、刑事を勤めた。ところが非番の日に交通事故を起こし、三十三年二月に退職した(同県警警務部調べ)。

その後いくつかの商売に手を出したあと、吉川が社長、Tが専務になり、名古屋市昭和区で「シルバー自動車」を経営、関西系暴力団の手口をそつくりまねて、同市西区西菊井町三ノ一、小野重雄さん(五三)が経営していた小野運送合資会社(中村区森田町二ノ二二)の乗つ取りをはかつた。

小野さんの話では、四十一年春ごろ、元社員だつたTの紹介で小野運送に吉川が現われ、「十億円の資産家だ」とのふれこみで、事業提携を申し入れた。吉川は「ウチの会社で運輸部門を設立するが、業界のことを知らないので協力してほしい。金はいくらでも出す」ともちかけ、小野さんを信用させた。やがて経理を引き受けることを条件に、小野さんに白紙委任状を書かせた。さらに、取り引き上必要だといつわつて印鑑を持ち出し、会社名義の銀行預金数百万円を引き出し、定款まで勝手に変更するなど“合法的手段”で乗つ取つた。時にはいぶかる小野さんに、Tらが「吉川さんは中署で警部までやつた人格者だ。ウソはいわない」とハッタリを並べた。

翌四十二年三月末、小野さんは吉川、Tらを詐欺などで名古屋地検に告訴、名古屋地裁にも民事訴訟を起こしたが、白紙委任状一枚で刑事事件にならず、長い裁判と高い訴訟費用に耐えかねて、約一年半後、告訴と訴訟を取り下げた。

このほかにも吉川は四十二年初めごろ、同市中区の喫茶店乗つ取りをはかり、経営者の千種区自由ケ丘三丁目、建設業Oさん(四六)に五、六百万円の損害を与えた事実もある。しかし、乗つ取つた運送会社は間もなく倒産、金を使いはたし、吉川とTらは仲間割れするようになつた。稲沢署の取り調べに対し、吉川はかつての捜査知識を生かし、かんじんな点はノラリクラリとかわしたり、黙秘権を行使、調べは一向にはかどつていないという。

この事件に関係したといわれる現職警官は、S警部(現警察署課長)とH警部補(現警察署係長)の二人。吉川が警察をやめたあとも、引き続き吉川と付き合つており、特にS警部は三百二十万円余の金を融通してやつたほど。運送会社を乗つ取られた小野さんは「吉川のところへ行くと、Sさんがいつもいつしよにマージャンをしていた。“警察のえらい人だ”と紹介されたこともあり、結局、吉川を信用してしまつた」と訴えている。また、喫茶店をねらわれたOさんも「Hさんは吉川との交渉の現場に立ち会つたこともあり、一部始終を知つていたはずだ。現職警官と知つて“助けてくれ”“証人になつてほしい”と頼んだが断わられた」と、くやしがつている。

愛知県警監察官室の話 警察官にふさわしくない風聞があるので、慎重に調査している。事実が明らかになれば、当然なんらかの処置をとらざるをえない。

中日新聞謝罪広告文案<省略>

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